ウラシネマイクスピアリブログ

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『僕はイエス様が嫌い』

 夏休みが近付くにつれ、大作映画が増えてくるこの時期、小規模ながらもオススメしたい映画がいくつか公開されます。今回ご紹介する作品は6/28(金)公開『僕はイエス様が嫌い』です。

 祖母と一緒に暮らすため家族で東京から雪深い地方の町へ引っ越してきた少年ユラ(佐藤結良)。ミッション系の小学校に転校した彼は新しい生活はもちろん、同級生が行う日々の礼拝といった日課にも戸惑っていました。そんなある日、目の前に小さなイエス様が現れます。

 本作は昨年、(カンヌ・ベルリン・ベネチアといった三大国際映画祭に続いて権威あると言われる)サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を最年少受賞したことで話題になりました。監督の名前は奥山大史さん、当時22歳。本作は大学の卒業制作として撮った長編デビュー作にして奥山さんが監督、撮影、脚本、編集を手掛けています。 

『僕はイエス様が嫌い』、というタイトルがセンセーショナルな感じもするし、才能ある若手の登場!となると尖った作品なのかなと思っていたのですが、この映画はとても私的で小さな世界で起きる出来事が描かれます。誰しもが経験しうること、という普遍的なテーマを描きながら、これまでにない感覚を記憶に焼きつけてくれる本作。変わらないものと新しい何かが混在している、と申しましょうか。ちょっと表現が難しいんですが、ささやかだけどスペシャルなものに溢れている映画です。

 主人公のユラはミッション系の学校に通うことになって初めて“神様という存在”が身近にある世界を知ります。でもユラは子供だし、急にそんな環境に身を置くことになるので神様も仏様もごちゃまぜです。家ではおじいちゃんの仏壇を拝むけれど、学校に行けば聖書を読み礼拝を行う、といった風に。

そんな生活の中で彼の前に現れたのが小さなキリスト様でした。芸人のチャド・マレーンが扮するキリスト様は手のひらサイズでとてもコミカル。“信仰”を理解していなかったユラにとってキリスト様はイマジナリーフレンド的に描かれますが、お願いするといろいろ願いが叶ってしまったので、次第と“神”という存在を信じるようになります。和馬(大熊理樹)という友達も出来て日常がキラキラし始めるのですが突然ある出来事が彼に降りかかります。

 タイトルが表すようにこの映画が描くことの大きなファクターに“信仰”があります。でもなぜか私はこの映画を観ている時にそれについては考えていませんでした。それは私があまりにも信仰や宗教に関わらずに生きているからかもしれません。でもユラくんと同じように、現実から唐突に残酷な仕打ちをうけるという経験はしているので、彼の経験を自分のものとして受け取りながら観ていました。そしてユラくんは神様を信じ始めていた(=信仰を持ち始めていた)時にそんな経験をしたからこそ余計に苦悩を抱えます。「神様にお願い事をしたら叶えてくれるんじゃないの?神様は何でも出来るんじゃないの?それが出来ないのなら何で僕らは神様に祈るの?」と。

そんなユラくんを観ていたら、答えの出ないこの問いに正解らしきものを求めることって何?、それと折り合いをつけられる日は来るの?と、ユラくんという少年の身に降りかかった現実を思い、ただただ胸がいっぱいになりました。少年は雪のように真っ白な存在なのに、大人になっても全然答えは見つからないのに、この日常を生きるしかないんだな、と。

 でもそれで絶望したという訳ではなく、それでも人は自分が信じるものを拠り所にしながら生きていくし、それがある人にとっては“信仰”だったり別の人にとっては“記憶”だったりと様々なのかな、と思ったり・・・。この映画のいろんなシーンを反芻しながらいつもより遠回りをしながら家に帰りました。

この映画を観て、自分の中で蓋をしている記憶を思い出したけれど、一方でこの映画で描かれる親密さと温かさに触れたことで「とても大切な1本に出会えた」と強く感じています。

By.M