『PLAN 75』
今回は本年度カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督に与えられる賞)特別表彰に選ばれた、6/17(金)公開『PLAN 75』をご紹介いたします。
舞台は近未来の日本。75歳以上から生死の選択権を与えられる制度“プラン75”が国会で可決・施行される。10万円の準備金と国の支援の元で安らかな最期を迎えられるというもの。角川ミチ(倍賞千恵子)は夫と死別し、78歳になった今もホテルの客室掃除の仕事をし生活をしていたが、突然の解雇のため“プラン75”の申請を考えるようになる。その過程でミチは役所の申請窓口で働くヒロム(磯村勇斗)、死を選んだお年寄りのサポートをするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)と出会う・・・
先日、劇場の前で何の映画を観るか迷っていた方に本作を薦めてみましたが「何だか身につまされるわね」とやんわり断られました。薦めておきながら「確かに・・・」と思ったのも事実。だってこの映画はフィクションとして描かれているけれど、今後“プラン75”のような制度がまかり通っても今の日本なら何の不思議もないな、と思ったから。
パンデミック以降、“自己責任”を問われることに拍車がかかっている昨今。その行為があたかも美徳のような空気が流れているのが本当に気持ち悪いなぁ、とジワジワ感じているのは私だけではないと思います。
この映画の主人公のミチも体調が悪そうな同僚がいれば電話をかけて様子を伺ったり、何か少しでも助けられればと周囲を気遣い「お互い様よ」という空気を醸し出しているにも関わらず、自分のことになるとただ1人でひっそりと踏ん張っています。仕事がなくなり、住む家を追われた彼女が新しい職や家を探している時に生活保護を受けることを薦められても「それはちょっと・・・」と断るシーンも胸が痛みます。生きるためにサポートを受けることは何の悪いことではないけれど日本の高齢者にはミチのような方は多いと聞きます。取りたてて説明されなくてもミチの行動を見ていると彼女がずっと真面目に生きてきた人間であることは一目瞭然で、でもそんな人が弱い立場になったからといって切り捨てられる社会って何なんでしょう。
人の存在価値は社会に役に立つ、立たないといったもの、ましてや生産性で語られるものでは決してないのに・・・。そして若い頃から庶民的でひたむきな女性を数々演じて来た倍賞さんがミチを演じるからこそ、そのイメージとも重なって余計に切実に感じてしまいます。
自分の最期が自分で決められます、周りの人に迷惑をかけることなく穏やかにその日を迎えられます、といった風に一見耳触りの良い謳い文句で問題の所在を誤魔化し、無責任なまでにやり過ごそうとするのは今やこの国の常套手段。“プラン75”のCMや65歳からも適用出来るよう検討されているといったニュースが流れるシーンなども「この国ならやりかねん」という妙な説得力さえあります。
と、観ていると正直どんどん気持ちが滅入ってくるテーマではあるのですが、救いは “プラン75”の申請窓口で働くヒロムとミチのサポート担当となる瑶子という二人の存在です。二人とも今の社会に疑問を持つことなくただルールに忠実に従ってきた若者として描かれます。でも彼らは“プラン75”を受け入れることを決めた高齢者と関わりを持つことで初めてその人自身と彼らの先にあることを想像し、この社会の歪みを自分事として受け取るようになります。だからヒロムも瑶子も無関心だった自分を悔いることとなるのです。でも二人のその気付きこそがこの映画の、引いては今の社会の希望になり得ると思えるし、賠償さんの演技の素晴らしさと並んでこの若手二人の存在にも希望を感じます。
映画には色々な役割があり、そのうちの1つが世界を知る手段だと思っています。本作は観ることにパワーがいる部類の映画だとは思います。でも誰だって当事者に成り得るし、気付かぬうちに加害者の側に立っていることもある。だから我々は知ることで想像しなければならないのです。それを止めた時に絶望はやってきて気付いた時にはそれに飲みこまれているのだから・・・
By.M