『それでも私は生きていく』
今回は11月のキネマイクスピアリの作品11/17(金)~11/23(木・祝)上映『それでも私は生きていく』をご紹介いたします。
シングルマザーのサンドラ(レア・セドゥ)は通訳の仕事をしながら8歳の娘と生活している。仕事の合間には病を患っている父ゲオルグ(パスカル・グレゴリー)の見舞いも欠かさない。かつて教師だった父は生徒からも尊敬される存在だったが、今は病の影響で視力と記憶を失いつつあった。そんな父の変化を前に無力感に苛まされるサンドラだったが、ある日、旧友のクレマン(メルヴィル・プポー)と再会し彼に惹かれていく・・・
本作の監督はミア・ハンセン=ラブ。俳優でキャリアをスタートし、20代で監督に転身、40代になった彼女が描く作品は自伝的なものが多く、本作も教師だった父親が晩年に患い、その時の経験と感情を映画に反映されていることをインタビューで公言しています。そんなパーソナルなエッセンスが散りばめられた作品なのでサンドラの姿に親近感を持つ人も多いと思います。サンドラのように日常に追い込まれてしまうと孤独になりがちなのですが、毎日をただひたすらに生きる彼女を見ていると「世界中に同じように悩む人がいるのか」と当たり前のことにも気付いたり・・・
そう、この映画では妙齢になると多くの方が経験するであろうことが主人公サンドラにも降りかかっています。自分がレア・セドゥじゃないこと以外でなんと共通点が多いことか。
特に父ゲオルグの介護問題はわかり味でしかありません。便がいい立地だと料金が高い、公的なホームだと順番待ち、郊外を探せば料金的にはいいけれどそれでは気軽に立ち寄れない。条件優先で決めるしかないと腹を括っても父親に対する接し方が酷いと「こんなところで生活させるのは無理」とイライラしてしまう。自分が面倒を見られればいいのだけれど自分の生活もあってそれは無理。でもそれって自分の我儘なんじゃないか?と今度は自分を責めたり・・・
父親が施設に入るとなると一転、今度は部屋の片づけが次の問題。哲学の教師をしていた彼の部屋には大量の本の山。父と別れた母親は案外さっぱりしているもの、サンドラにとっては父が愛した本たちも彼の一部のようで捨てられない。「こんなにたくさんの片づけ、どうするのよ」という実務的問題と部屋から感じ取れる父らしさへの感傷という狭間でサンドラはまたもや心の行き場を見失ってしまうのです。
でもそんな時にふいに訪れたのが旧友クレマンとの再会でした。妻との関係は冷めている・・・という常套句を口にする男ではありますが、唯一、自分を解き放つことが出来る彼との時間がサンドラにとってはかけがえのないものになります。(不倫の倫理的問題は一旦、置いておいて)日々の色々に忙殺されていた彼女が「連絡くる、こない」で一喜一憂し、心まさに揺れる様は無邪気でとても愛おしい・・・彼との時間を重ねる度に輝いていくサンドラが、それを演じるレア・セドゥがとっても魅力的なんです。
本作は介護、仕事、子育てに追われる女性の物語ではあるのですが、決してそれに対する社会的構造を問うたり、その現実を訴えることがこの映画のメインではありません。幼い頃には永遠だと感じられた人生も気付けば半ばは過ぎているし、そもそも人生に永遠はなく、必ず終わりが訪れる。それでも人は新しい朝を迎えれば、その日一日を生きるしかない。誰にも平等にいつしか訪れる終わりを前に人はただ生きるんだ、ということを示しているのがこの映画だと思うのです。
だからこそ、子供のため、親のためといつも自分じゃない誰かのために生きていたサンドラが唯一自分のために恋に現を抜かすのも(不倫の倫理観は再び置いておいて)生きるってそういうことだ、と思えちゃう。この映画が何かのために自分を犠牲にすることを美化したり、それを当然のように描かなかったことはとても正しい今の在り方だと思うのです。誰かのために何かを諦めるんじゃなく、自分のために生きることってもっと肯定されていいハズだ。
By.M
配給:アンプラグド