『スリー・ビルボード』
こんにちは、女住人Mです。まもなくアカデミー賞授賞式の季節がやってきます。今回はアカデミー賞の前哨戦と言われるゴールデングローブ賞で最多4部門受賞、アカデミー賞も6部門7ノミネートされている作品をご紹介します。2/1(木)公開『スリー・ビルボード』です。
舞台はアメリカのミズリー州。田舎町を貫く道路に並ぶ3枚の広告看板に地元警察のウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)を名指しで批判するメッセージが突如現れます。それは娘を殺害されたにも関わらず、一向に犯人を逮捕出来ない地元警察に苛立った、母親ミルドレッド(フランシス・マクドーマン)が出した広告でした。しかしその行動が田舎町を騒がせ、波紋を呼んでいきます。
まだ10代だった娘が無残にも殺され、その後犯人の手掛かりさえない。そんな境遇を考えると、悲しみに暮れ何も出来ない母親像をイメージされると思いますが、映画はミルドレッドの怒りから始まります。業を煮やした彼女は黙っていません。警察にだって盾をつくし、発する言葉もかなり荒々しいし、時には暴力も辞さない。批判の矢面に立ったウィロビー署長は住人たちからの人望も厚かったため、ミルドレッドの言動がエスカレートすればする程、彼女が批判の目にさらされます。まるで被害者は被害者らしく大人しくしていろ、と言わんばかりに。
また部下のディクソン巡査(サム・ロックウェル)はウィロビーを心から尊敬していたし、もともと差別的で暴力的な人間だったため、彼女を攻撃するようになります。(警官なのに!)地元警察の面々も乱暴なディクソンを見て見ない振りをする、ミルドレッドの息子(ルーカス・ヘッジズ)は学校でイジメにあう。被害者なのに、正義のために行動を起こしたのに、事件は進展しないまま、ミルドレッドはどんどん追い詰められていくのです。
そしてミルドレッドの暴走に拍車がかかり始めた時、ある決定的な出来事が起き、物語はそこから違う方向に進んでいきます。そう、この映画は冒頭こそ事件の犯人が見つかるのか?それとも母親が復讐に燃えるのか?と思っていたら、そうではないのです。被害者だと思っていたミルドレッドがまるで加害者のような立場になり、同情目線がどんどん薄れていくし、ウィロビーが怠慢だったから事件が解決してないのか?と思うと、彼は誰よりこの事件を早く解決したいと望んでいる人だし・・・。どこに話が展開していくのか検討がつかないまま、でもどんどん物語がドライブしていくんです。
そして極め付けがディクソンです。警官にはなっているけれど、その言動はどうみてもふさわしくないし、賢さもない。それを自身でもわかっているからか、なめられないように虚勢を張って生きている、暴力を使って・・。本当にどうしようもない人間だけれど、そうでしか生きられない彼の不器用さが徐々に明るみになっていきます。
主人公はミルドレッドだったのに、いつしかウィロビーの話になり、最終的には完全にディクソンの物語へとなっていく。そういった風に物語の主軸が変化するこの映画、つまり『スリー・ビルボード』というタイトルが表す通り、まさに3人の物語。そして彼らを通して暴力だったり、憎しみの連鎖だったり、家族の関係だったり、閉鎖的な環境や社会での生き辛さだったり、実に様々なテーマが語られ、描かれていくのですが、自分の思うように生きることが出来ない、決して完璧ではない、むしろどこにでもいるような人を通して語られるからこそ、グっときてしょうがないんです。
もっと違うやり方もあったかもしれないのに、こうでしか生きられなかった人々の悔恨が未解決事件やその捜査中に起きたある事件を引き金にどんどん変化していく。そして迎えるエンディングは何とも言えない余韻を残すのでした。
とても練られた脚本のうまさが際立つ本作ですが、何と言っても人間味溢れる登場人物たちを演じたキャストの面々、そのアンサンブルの素晴らしさがまたたまりません。脇のキャストに至るまで誰ひとり目が離せない。「いい映画を観たなぁ」と間違いなく満足して頂ける一本です。その感動はじんわり、じんわりとやってきます。是非、お見逃しなく!
By.M
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