ウラシネマイクスピアリブログ

映画を愛するシネマイクスピアリの宣伝担当者が
今後の上映作品を
ウラからナナメから眺めてそっと語るオフィシャルブログ

NEW

『わたしの知らない子どもたち』

 終戦は「終わり」ではなく別の苦しみの「始まり」に過ぎません。誰もが生きていくのが精一杯な状況で文字通り「透明な存在」として街に溢れていた子どもたちがいました。今回ご紹介する作品は10/16(金)公開『わたしの知らない子どもたち』です。

 舞台は終戦後の日本。音楽家の父のもとで育ち穏やかな生活を送っていた12才の琴子(小八重葵美)だったが、疎開先から戻ると空襲で家は焼け、両親は行方不明になっていた。焼け野原の東京で一人生きることになった琴子は少女であることが危険だと悟り“茂男”と名乗り、少年として生きることを決意。同じように天涯孤独となった少年たちと共に行動を共にする。一方、琴子の担任だった曽根文美子(二階堂ふみ)もまた、戦争で婚約者を失い、未婚で出産し、教師という立場も生きる意味も失っていた。そんな時に琴子を探しているという琴子の父の友人の手紙を受け取ったことで彼女を探す旅に出る・・・・

 本作は終戦後、全国に12万人いたとされる戦争孤児をまっすぐに見つめた作品です。戦争は多くの命、ものを壊し、これまで当たり前にあった日常をも破壊します。それは終戦を迎えたからと言っても、当たり前ですが失われた命は失われたまま、普段通りの生活がすぐに戻ってくる訳もなく、その後にもっと厳しい現実に直面することになる、ということをわかっていたつもりでも、この映画を観ると改めてその「つもり」がいかに表面的なものだったかを思い知らされます。

 平和な世の中であれば、友だちと走り回っているような年齢の子も生きるために盗みを働き、体を大人に差し出す者もいる。この映画で描かれることもかなり辛い状況だけれど、きっと現実にはもっと過酷だったであろうことも想像するに難くありません。でもそんな運命を受け入れざるを得なかったとしても、それでもがむしゃらに、時にしたたかに生きる彼らの姿に何度も胸が締め付けられると同時に子どもたちの生きることへの圧倒的な力強さも感じられます。そんな戦争孤児たちを演じる主演の小八重葵美をはじめ、子どもたちの演技、存在感がとにかく素晴らしく、スクリーンから目が離せません。不条理な世界の中で、それでも失われない人間としての輝きを彼ら彼女たちは見事に体現しています。

 また、戦後に女手一つで乳飲み子を抱え路頭に迷った、琴子の元担任・文美子。自身が生きることで精一杯だったために一度は琴子を手放し、守り切れなかったことを悔やみ、その後彼女を探す過程がそのまま贖罪の旅となり、彼女自身も失ったものを取り戻していく。その姿も丁寧に描かれており、演じる二階堂ふみさんも内に秘めた罪悪感と母性をその表情と眼差しで表現していて
観るものも彼女と共にずっと琴子の無事を祈りながらスクリーンを見つめてしまいます。

 そして誰もが疲弊し、余裕を失っていた時代の中で、子どもたちに手を差し伸べる大人たちが描かれることにも救われる思いです。絶望の中で大人が差し出す小さな優しさが、たとえそれがその時だけの善意であったとしても、折れかけた小さな命を支える糧になる。特にあるシーンで登場する役者にこの映画で最も大切なメッセージを託しているところ、もう胸がいっぱいです。

 戦争で最も深く傷を負うのは、いつだって声を上げられない子どもたちです。未来を生きる彼らに、そんな経験をさせてはならないのに。そう思うとき、この映画は過去の物語ではなく、現代と完全に地続きであることが痛いほど明らかになります。今この瞬間も、大人たちの都合に翻弄されている子どもたちが世界のどこかにいる。そのことを思うと、「大人、何やってんだよ」と吐き捨てたくなります。

 本作の脚本も手掛けた西川美和監督は、前作『すばらしき世界』の制作過程で、その原作「身分帳」の主人公が戦争孤児たちとともに育ったことを知り、その時には描けなかった世界をこの映画で描いたと語っています。焼け跡や闇市で生き延びた子どもたち、そして彼らを飲み込んでいった裏社会——そういった現実もまた、本作では描かれています。シネマイクスピアリでは10月23日(金)〜29日(木)の1週間、<キネマイクスピアリ>10月の作品として『すばらしき世界』も上映いたしますので、ぜひあわせてご覧ください。

<キネマイクスピアリ>『すばらしき世界』はこちらから

By.M